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ハリー・ラングドン

白塗りの下ぶくれ顔に、いつも驚いているようなつぶらな瞳と愛らしい口元。Hl1 ‘ベビーフェイス’ハリー・ラングドン(1884-1944)。サイレント後期に特異なキャラクターでコメディアンとして頂点を極めたにもかかわらず、ほんの数年でその絶頂から一気に転落。努力を重ねるも遂に人気は回復することなく、今では三大喜劇王(チャップリン、ロイド、キートン)の陰でほとんど顧みられることもありません。本来なら大喜劇王の一人と呼ばれてしかるべき逸材だったはずなのに。

トップ・ヴォードビリアンとして20年のキャリアを誇った後、映画に進出した時は40才を越えていました。キーストン・スタジオ創立者のマック・セネットに見出されてから徐々に名を上げ、フランク・キャプラ、ハリー・エドワーズと組んで送り出したのが『初陣ハリー』(26)『当りっ子ハリー』(26)『初恋ハリー』(27)の3本。その人気はすさまじく、チャップリンを上回るほどだったといいます。  

上記3本の代表作は、どれもよくできた作品ですが、特にキャプラの監督デビュー作となった『当りっ子ハリー』は、何度見てもちっとも飽きないほど、ラングドンの完璧な演技が冴えわたった傑作だと思います。第一次大戦に従軍していたベルギー人兵士が、戦後興行師‘史上最強の男’の助手として移り住んだアメリカで、写真だけを頼りに文通相手のアメリカ娘を探す。興行先の田舎町でようやく娘に巡り会えたのも束の間、酔いつぶれて役に立たないボスの代わりに、彼が観客の前で怪力ショーを披露するハメになる。最初の登場場面は、戦闘の合間にハリーがひとり機銃掃射の練習をしているシーン。岩に腰掛け、空き缶の的めがけて機関銃を浴びせ続けるんだけれど一向に当たらない。と、懐から取り出したのはお馴染みのパチンコ。小石を弾に狙いを定めて発射、みごと一発で命中。ハリーは口をVの字にキュッと曲げて満足気。行動がいちいち不器用で周囲の動きよりもワンテンポもツーテンポも遅く、ひいては周りで起こっている騒動に気付かないできょとんとしているうちに事態は一件落着していたりする。子供じみたというより、子供を通り越した赤ん坊のようなイノセンス。 どこにもいないキャラクターです。

『当りっ子ハリー』の圧巻のひとつは、ハリーがボスと興行先の町に向かう乗合馬車のシーンです。ハリーは大風邪を引いていて、騒々しいセキやクシャミで他の乗客に菌をばらまく迷惑千万ぶり。顔のアップをとらえて動かないカメラの前で、ハリーは丹念にリアルに風邪のもたらす諸症状をひとつひとつ表現してみせます。セキ、クシャミ、鼻詰まり、喉の痛み、耳鳴り・・・。決しておおげさに誇張しているわけではなく、とても自然。ただそれを赤ちゃん顔の彼がイノセントな目をパチパチさせながらやってみせるものだから、見ている方は爆笑なのです。やがてお薬の時間になって、風呂敷包から出した苦い苦い水薬をスプーンに1回分注いで口元まで持っていくのだけれど、どうしても口に含む勇気が出ない。「飲まなきゃなあ。でも苦いしイヤだなあ」大嫌いなピーマンやニンジンを前にした幼児の顔。90年代にイギリスのコメディアン、ローワン・アトキンソンが大ヒットさせた‘9才のおとな’ミスター・ビーンの布石は、60年以上も前にラングドンが敷いていたのでした。もっともラングドンの方がずっと幼いのだけれど。

Hl2 同じようなハリーのアップの名演は『初陣ハリー』(ハリー・エドワーズ監督)にもあります。翌日出場するレースに備えてぐっすり眠ろうと睡眠薬を飲んだハリー。最初はぱっちりあいていた目が少しずつトロンとしてきて、やがて丸まって寝てしまうまでの数分間は、うまい!の一言。チャップリンもキートンもロイドも、表情というよりは全身を使って演じる人ですが、顔だけでこんなに長いカットを見せられる喜劇役者はあまり記憶にありません。ラングドンがヴォードビル出身だということを考え合わせると、なんという芸達者な人だろうと改めて驚かされます。

転落の要因はラングドン自身にありました。折しもチャップリンが『サーカスや『黄金狂時代で喜劇の新境地を開いた20年代半ば、ラングドンはフランク・キャプラに迫ったといいます、「ペーソスだ。もっとペーソスを入れたいんだ」と。「ハリー、ペーソスは君の映画の中にちゃんとあるよ」キャプラは必死に説得を試みますがラングドンは聞き入れず、2人は決別します。キャプラの言い分は正しかったのです。『当りっ子ハリーでハリーと盲目の娘メアリーが初めて出会うシーンにはしっとりとした牧歌的な情感が漂い、アップテンポのギャグシーンの中でも一つのアクセントになっています。ただそれは、ハリー自身がかもし出すものではなく、キャプラとハリー・エドワーズの巧妙な計算のもとに創り上げられたものでした。そもそもペーソスはハリーのキャラクターとは無縁だったのです。

チャップリンの浮浪者は、行動や仕草はちょっと意地悪く子供じみてはいますが、人生の悲哀をかみしめながら生きてきた大人のキャラクターです。人生は苦い。一生懸命体を張ってがんばってもうまくいかない。どんなに心をこめて相手を愛しても報われない。そして最後にはいつもひとり。「ああ、またか・・」そんな諦めにも似た気持ちの中から「でもやっぱり生きるっていいよね」とため息混じりに笑ってみせる。これがペーソス。深い思索の賜物、大人の情感です。チャップリンは最後にはいつもここに戻ってくる。だからこそ観客とチャーリーは心を通わせ合うことができ大きな感動を呼んだのでした。

しかしラングドンは大人ではない。子供でもない。見かけは一応大人、精神レベルは完全に子供。でも行動の目標はデートだったり結婚だったり、パートナーを求めている点ではやっぱり大人。つまり何なのかよく分からない。その微妙なバランスこそがラングドンのおかし味だったのです。キャプラとエドワーズはそれをよくわかっていました。しかしラングドンにはわからなかった。「チャップリンにできて自分にできないはずはない」その思いだけで自らのプロダクションを立ち上げ、自身の監督で撮った『岡惚れハリーは大失敗に終わります。家庭をもつこともできない自分の無能さを嘆きながら生きているハリーが、身重の女性を助け結婚を夢見て懸命に世話をするが、やがて女性の夫が迎えに来てハリーはまたひとりぼっちに戻るというストーリー。ハリーのキャラクターは大人の男に限定されているため、‘あいまいさ’からくる笑いはいやが応でも半減します。さらにラングドンには監督の才能はなかったし、カメラの使い方も知らなかった。『岡惚れハリーは酷評され(誰も大人のハリーなんか見たくなかったのです)焦ったラングドンは次々と作品を送り出しますが、一作ごとに評価は落ちるばかり。ようやく本人も自分の間違いに気付き、元のキャラクターに戻って再出発を計りますが、トーキーを迎えた今、アクションだけで見せるドタバタ喜劇はもはや時代遅れ。彼は完全に過去の人となり果てていました。そして、何とか第一線に返り咲こうと精力的に働き続ける中、1944年に60才で奮死します。(参考文献:“The Silent Clowns”Walter Kerr著)

バスター・キートンもラングドン同様、自身の笑いをトーキーに転換することができず失墜します。しかし長いブランクの後、新しい世代のファンに再発見され、現在では大コメディアンとして確固たる地位を与えられています。ラングドンは未だ埋もれたままですが、リマスターされたビデオやDVDがここ数年次々と発売されていますので、新たな脚光を浴びる日も近いかもしれません。

ハリー・ラングドンの映画は、上にあげた3作が1本に入ったDVD“Harry Langdon...The Forgotten Clown”Kino International から発売されています。アマゾンでも手に入ります。

 

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