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『ヴァレスカ・ゲルト~ダンサー/女優』  ロッテ・H・アイスナー

 私の親しかった友人は皆難しい人間だった、私がもしこう言ったのであれば、この主張にやや制限を加え、「難しい」というのは決して「自己執着」という意味ではなかったと強調する必要がある。… 私は、自分のことしか話さないような人間には耐えられない。だから私は、その姿なしには1920年代のベルリンを思い浮かべることができない、かの人物とは友情を結ぶことができなかった。… それは女のValeska_gert中の一匹狼、ゴクラクチョウ ―― グロテスクなダンサーのヴァレスカ・ゲルトだ。ある盛大な仮面舞踏会があった折、私は優れた詩人でスケッチも描いたエルゼ・ラスカー=シューラーと一緒にいる彼女と出会った。ヴァレスカは一見ありふれた印象を与えた。しかし、彼女の表現舞踊には、物柔らかさや優美さがほのかに光っていた。素晴らしい女優だと私は思った。パプストや[ジャン・]ルノワールや[ヘンリック・]ガレーンの作品で彼女が演じた小さな役柄では、その強い存在感が肌で感じられた。そえゆえ私は、彼女への映画のオファーがあまりに少ないことをいつも残念に思っており、記事にもそれを書いた。

  ダンサーのヴァレスカ・ゲルト、彼女はダンサーであるだけではない、―― 映画『喜びなき街』で妙になれなれしく世話好きな売春斡旋女を演じた彼女は、肩を揺すり唇を歪めるだけで、薄気味悪い現実味を表現してみせた。『女優ナナ』の感情を抑えた召使ゾーエ役も思い出される。

 当時記者は、彼女がその後もっと頻繁に映画に登場するものと信じていた。なぜならば彼女には、グロテスクな人物から悲劇的な人物まで演じられる、稀有な可能性があるからだ。彼女は、個々の身振りや表情で表現する力を持っている、体のひとつひとつの動きが言葉を放っているのだ。

 しかし、映画でさらに彼女を見ることはなかった。『妖花アラウネ』でまた小さな役を演じると聞いただけだ。映画は彼女を必要としないのか? 彼女の演じられる役はそれほど少ないのか? バルザックの作品を見よ、ゾラやエドガー・アラン・ポー、E・T・A・ホフマンの作品を見よ。彼女に見合う役はきっとある。そろそろ新たな道に繰り出す者はいないだろうか? 古い道はもうすっかり踏みならされてしまっているのだから。やってみる価値のあることではないか。―― 『フィルム・クリーア』1928114日号より

 ヴァレスカ・ゲルトはきわめて醜かったため、主役級の役を与えられることはなかった。なるほど美人ではなかったが、彼女ならば、その感覚的に引きつける力や捉えどころのない表情や動作を使って、観客を虜にすることも、あるいはもっと見てみたいという気にさせることもできたはずなのだが。

 年を取ると、彼女は自分の醜さを露骨に様式化した。自分について書いた著書の記述によれば、彼女のそばを通り過ぎたある少女が母親に尋ねたという、「あれは猿なの?」

 私は小柄で頭は鳥の形。髪は半分が黒で半分が白。自分で染めている。まるで赤ん坊のような柔らかく細い毛だ。額はなだらかで皺もほとんどないが、鼻にかけて縦に二本深い皺が刻まれている。鼻は低く端が丸みをおびている。「じゃがいもの鼻」と呼ばれたこともあった。頬骨は高く張り出していて、その下にできた二つの穴には細いひび割れのようなしわが無数にある。唇は形が良いが両端に縦皺ができている。首はすべすべだ ―― たぶん最近まで枕を使わず、平らな姿勢で寝ていたためだろう。

 肩はまっすぐで少年のようだ、胸はリンゴ型にぶら下がっている。腹は大きくぽっちゃりと女性的だが、肥満ではない。尻はもうかつてのようではない。肉が落ちてしまっている。背中は男っぽく贅肉は1グラムもない。太ももと膝は形が良く、肌はつやつやで、脚は筋肉質だがかなり短い。足首はほっそりしていて、手首はもっと細い。12歳の少女の手首だと言っても通じるほどだ。足は華奢でとても柔軟、いくらか太くはなったが、とてもしなやかだ。左手にはほとんど皺がない。右手は大きい、たくさん働いてきたせいだ。肌は柔らかく、手の爪は細く麗しい。

 瞳は濃い茶色だが、まつげは昔ほど多くはない。たっぷり睡眠をとってきたので生き生きと輝いている。目には付けまつげを貼り、唇を赤く塗っている。私は高齢ではあるが、魅力的だと言う人も多い。

 この事細かな自己描写に何をこれ以上付け加えよう。ヴァレスカ・ゲルトの専らの美しさは、噂にたがわず高齢になっても白く艶やかなバストにあったということぐらいか…。ヴァレスカが亡くなった時、誰も彼女の本当の年齢を知らなかった。自分よりは若いだろうと私はずっと思っていたのだが、どうやら彼女はいくつか年を若くさば呼んでいたようで、亡くなった時はすでに90代になっていた
  ★実際は86歳(1892―1978年)

 著書の中で彼女は、仕事を維持するため常に禁欲を心掛けて生きてきたと何度も強調しているが、実はその時々の伴侶にほかに少なからぬ愛人がおり、必要とあらば彼らのために街角にも立った。最初の夫はベルリン上流階級のとある裕福な家の出だった。私の兄とも親しく、ヘルムート・フォン・クラウゼという上品な、むしろ女性的な人物で、おびただしい数の高級な香水を持っていた。風変わりなカップルだった。

 ヴァレスカの辿った人生を、実際私は遠くから見ているだけだった。―― 彼女は芸術を嫌悪した。その単語が出るだけで気分を悪くした。芝居を見に行くことがあれば、自分の方が巧くやれたのにと思うだけだった ―― たぶんそれは多くの場合正解だったろう。映画館にもめったに行かなかったが、映画に対する勘を彼女は持っていた。彼女は当時誹謗中傷の的だったエーリヒ・フォン・シュトロハイムを好んだ。彼も聞きしに勝る変人だったからだ。そして彼女はエイゼンシュテインを敬愛していた。彼女は1930年、最初の短い“自叙伝”『私の道』を彼に献じた。後に著した自伝の中には、ヴァレスカ・ゲルトとエイゼンシュテインの出会いの様子が詳しく描かれている。

Eisenstein

 私は、名高いロシアの映画監督セルゲイ・ミハイロヴィッチ・エイゼンシュテインに会うためパリへ出かけた。私たちは互いに魅了されていた。1952年にロンドンのボドリー出版から出たマリー・シートンのエイゼンシュテイン伝には、私たちの出会いが次のように書かれている。

 「彼は、ベルリンのダンサー、ヴァレスカ・ゲルトの中に、めまぐるしく変化する官能、ユーモア、そして情念を見た。芸術家としての親近感が、エイゼンシュテインとヴァレスカ・ゲルトを結びつけた。二人が見るこの世界は、喜劇と悲劇の混合であった。彼らのインスピレーションは実社会にあった。二人とも、創り出すものすべてにおいて革命的でなければならなかった。(…)

  彼女のダンスはセルゲイ・ミハイロヴィッチを魅了した。気分しだいで醜くも美しくも見えるこの女性は、彼にとって金縛りになるほどに強烈な、セックスアピールそのものだった。(…)

 彼女は大失態を演じた。自分との出会いは、彼女にとって一つの新たな経験に過ぎない、と彼に思わせたのだ。彼の望みはしかし、彼女と愛情を分かち合うことだった。そこで彼は新しい事柄に関心を移した。それでも彼はヴァレスカ・ゲルトを忘れることができなかった。彼女が彼の中に呼び起こした情熱が、彼を実人生に一歩近づけたからだ。」


 私の知るところによると、エイゼンシュテインは女性に対してただ内気だったのではなく、心底から嫌悪していた。私は彼の妻ペラをよく知っていた。戦後彼が死去した後彼女は私を訪ね、また私がモスクワの彼女を訪ねたこともあった。セルゲイのこともよく話に出たが、彼女と夫に性的交渉は全くなかった。彼は挿絵やスケッチに描かれたエロティックな空想の世界を楽しんでいた。―― 彼はそれらを無数に集めていた。奇妙なことだ、あれほど男性的に見えた人が。エイゼンシュテインといえば、まず思い浮かぶのはその“ライオンのような頭”であったから…。

 ヴァレスカ・ゲルトは、他の多くのユダヤ人芸術家と同様、そのダンサーとしてのキャリアの絶頂期に、ドイツから逃げ出さなければならなかった。ヒトラーが政権を握った時、彼女は大慌てでアーリア人の同性愛男性と結婚したが、それでも十分安全という確信が持てなかったのだ。

 ともかくも、彼女はアメリカへ渡り私の前から消えたが、戦後になって、私たちのいるパリのシネマテークへと、ふいにまた姿を見せた。1968年、彼女はピエール・フィリップという無名の、残念ながら全く出来の悪い若いフランス人映画監督のもとで、『La Bonne Dame』に出演したところだった。

 アンリ・ラングロワは、ヴァレスカの多彩さやバイタリティ、ダンスへの献身ぶりに惚れ込んでいた。―― 彼はドイツの名作無声映画に関わるあらゆるものに目がなかった。そこで彼は、今でも自作のレパートリーすべてを踊ることができ、依然として観客を虜にしたいという望みにとらわれているヴァレスカを、映画に撮ろうと思い立った。
  ★シネマテーク・フランセーズ館長

 ヴァレスカは有頂天だった。彼女はアンリのカメラの前で全力を出し切り、奇跡を待った。―― そしてこの一件は哀れな末路を辿る ―― 奇跡は起こらなかった。アンリは撮ったものをどこかへ置き忘れた。私の知る限りでは、編集の作業にも取りかからないまま、フィルムの入った缶はシネマテークの膨大なコレクションの腹に消え、吸収され、二度と吐き戻されることはなかった。

 ヴァレスカは、パリに来るたびに「映画はどうしたの?」と尋ねた。手紙や電話で「私の映画はどうなったの?」と再三訊いてきた。まったく泣きたい心境だった。彼女の気持ちは遅ればせながら遂に満たされた。フォルカー・シュレンドルフが映画『とどめの一発』[1976年]に彼女を起用し、さらに彼女のドキュメンタリーを制作したのだ。その中で彼女は、1920年代の有名な全演目をいま一度披露することができた。これFangschussは彼女にとってよかったに違いない。1960~70年代の新世代ドイツ人監督たちの間には、名作映画の歴史を引き継ぎたいという明確な願望があり、当時の古いスターたちが発掘され、有名な映画の題材を記憶に呼び起こしていた。こうしてヴェルナー・ヘルツォークは、ムルナウの名高い映画に準拠した、新しい『吸血鬼ノスフェラトゥ』を制作した。彼はシュレンドルフのヴァレスカ・ゲルトをじっくりと見て強い感銘を受けていた。そしてただちにカンペンに飛び、映画への起用を申し出た。「彼女の歪んだカリカチュアは」とヘルツォークは言った、「大自然の不穏な姿とぴったり重なる。」二人の向かっている方向は正しかった。

 ちょうど彼は、『ノスフェラトゥ』のグロテスクなレンフィールド役を探していた。この人物は忌まわしき縁(えにし)を必死に追い求める、自分だけが怪人の醸す精神世界を共有し得るからだ。残念なことに、この共同作業は実現することなく終わる。ヴァレスカ・ゲルトは撮影の始まる数週間前に死去した。

★および[]内の補足:訳注

 

Lotte H. Eisner  "Valeska Gert, Tänzerin und Schauspielerin "  "Ich hatte einst ein schönes Vaterland" dtv 1988年より)

*掲載写真は、原書から転載したものではありません。

 

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