ひとびと

きみがみたまを なぐさめよかし~木村曙の死

作家木村曙(本名・栄子)は明治3年(一説には4年、5年)に生まれ23年に没した。Img_4363
明治の実業家木村荘平の庶子として神戸に出生、短い生涯の間に、代表作『婦女の鑑』など「技術的には未熟だが意欲作」と評される作品を数本残し、佳人薄命のならいに洩れず20歳足らずで世を去った女流文学の黎明期の人。これで彼女のプロフィールは一応完結する。ただ、一枚だけ流布している洋装の肖像写真の瞳の涼しさが、“それだけではない”何かを感じさせ、生身の曙をもっと知りたいとずっと思っていた。

そんな時、白井ユカリ氏の大著『木村曙研究』(2015年西田書店)の参考資料の中に、曙の母や異母弟たちによる回顧談やエッセイの幾つかを発見し、数年来くすぶっていた私の曙探求熱が再燃、さっそく入手して読んでみた。そして、肉親の口から懐かしく語られる数々のエピソードにこちらも温かい気持ちになりかけた時、突然飛び込んできたのだ、あらゆる感傷を吹っ飛ばす、胸も詰まるような慟哭が。

それは、曙の七回忌の追善にと母が出版した私家版『婦女乃鑑』に掲載された、親友たちによる3つの寄稿文だった。そして私を人間・木村曙にぐっと引き寄せたのも、これら悲痛な追悼文だった。

木村曙は文学の世界に一人で飛び込んだのではない。仲間がいた。その仲間は、彼女の高等女学校時代の同窓生たちだった。欧化主義の気運の中、同じ学び舎で勉学に励んだ彼女らは、少女らしいまっすぐな正義感と向上心で、社会貢献への志を打ち立てる。そして意欲と希望に満ちて大人の世界へと乗り出していったのだ。

しかし、気運はどうあれ時代は父権制の明治、曙が夢の実現のため望んでやまなかった留学は父の拒絶にあって挫折し、逆にあろうことか無理やり婿をとらされ、家業の店の一つを継がされてしまう。洋風に下ろしていた髪を島田に結い上げ、以後、牛鍋屋の若奥さんとして働く曙は、それでも自らの潰えた夢を文学の世界で成就せんと、友らと次々に作品を発表し、その活動は「曙一派」として注目を浴びるまでになる。しかし、僅か一年足らずで流感から結核性腹膜炎を発症し、無念の死を遂げたのだった。

こんな彼女の運命の残酷、むごすぎるその落差を目の当たりにした友らの胸にあるのは、幾年を重ねようがただ慟哭だった。こと曙に関する限り、時間は彼女たちの中で永久に止まってしまったのだ。

『婦女乃鑑』への寄稿文は、岡田秀の『はしがき』、植村清花の『木村栄子女史の小伝』(曙急逝後『女学雑誌』に発表された追悼記事の再掲)、そして松本えい子の『曙女史を吊する今様』。

植村清花の『小伝』で綴られるのは、主に学生時代の曙の面影である。
「花のごとき顔(かんばせ)、柳のごとき姿」「態度活発にして言語爽やかに、」英語・フランス語・音楽に手芸と、ことごとく優秀な成績を修めたという。
また、誰もかれもが西欧にかぶれ、着る物身につける物のすべて「舶来にあらねば美くしとせず」だった当事の風潮に対しては、日本の布地だけを用いて自ら縫い上げたドレスで登校し、外国人教師を感嘆させたこともあった。周囲に流されず、自分の頭でしっかり考え、行動することのできた聡明な素顔がうかがえる。日本伝統の織物や手芸品を輸出する会社を興し、家庭に入るしか道のない女性たちが携わる事業として定着させようと、皆で夢を膨らませたのも、曙の発案からだった。
そんな楽しい思い出からも、或いは卒業後、「いさみよろこび 先(ま)ず実地修行の為め、外国へ留学の事を親君に願いたまいしが、」反対されて実現せず、家業の手伝いに明け暮れる日々の中、「ふと思いたまうよう、文学の中にても物語小説を書綴るこそ女子には相応(ふさわ)しき業なれ、」紫式部や清少納言のような女性文学者が、この文明の時代に出ないのはおかしいと、僅かな時間を見つけて『婦女の鑑』を書き上げ、文壇では「曙女史の名 世に高く聞え、」女郎花(おみなえし)の花にたとえられるに至った、作家木村曙誕生の経緯からも、やがて発病し、「つやある筆も執るに物うく、風になやめる河辺の柳に等しく、たれこめてのみ在(おわ)せしが、」大磯への転地療養の甲斐もなく、「いとやさしき母君の手を枕に、十九の年を一期として、後来ののぞみと共にむなしく失せ給いぬる」その最期からも、『小伝』はどこを切り取っても、ただ「何故、何故」という胸を裂く叫びが聞こえるばかりである。

「光陰に関守なく、実の姉妹にもまして睦みまいらせし、木村栄子の君に別れ奉りしより、君が面影のそわぬ時なく、袖に涙のかわく間もなきに、はや七年を過ぎぬ。」という書き出しで始まる岡田秀の『はしがき』も、哀惜に震える手で書かれたものだ。
新たな涙に誘われながら、秀はこう追想する。「君と妾(わらわ)とは宿世いかなる縁なりけん、怪しきまでに親(したし)みまいらせ、」『小伝』の清花を交え、「年老いて世の任務(つとめ)終らんのちには、三人同じ家々にすまいて楽しく世を送らんと誓いしことさえありけり。」
「世の務め」が社会の務めなのか家庭の務めなのかはともかく、静かな余生を家族とではなく友達同士で送ろうと誓ったというのが興味深い。鹿鳴館時代の当時、洋装の学生など珍しくなかったはずだが、それでも男たちの好奇の目にさらされて嫌な思いをしたのだろうか。或いは飲食店経営者の娘として育った曙が、自宅の店先で酔客に下卑た言葉を浴びせられるようなこともあったかもしれない。曙の父荘平自身、10人の妾に30人の子供を産ませた、色欲の権化のような男である(たとえそれが力の象徴ともてはやされたとしてもだ!)。純真な乙女の潔癖から、3人が色と欲にまみれた“男の世界”を憎悪し、シスターフッドの絆で結ばれていったとしても不思議ではない。

『今様』を書いた松本えい子(英子)は、曙たちより数年年長で、知り合った当時すでに教壇に立つ経験もあった。
早くから社会的意識に目覚め、卒業後一度は家庭に入るも、離婚して新聞社に入社。そこで足尾鉱毒事件の惨状に遭遇した英子は、現地を足繁く訪れては人々の生の声を取材し、周囲の圧力を物ともせず、60回にわたり記事を連載して被害者の救済運動に邁進した。曙の社会性は、この英子との交友によって培われたものだったのかもしれない。それとも、元々相通じる素養や意識を持っていた二人が共鳴し、固い友情を育んでいったのだろうか。
その後曙の果たせなかった海外留学を実現し、第一次大戦中はアメリカで反戦を訴え続けたという英子の心には、かつて社会改良を熱く語り合った親友曙の残像がなかっただろうか。綿々と綴られる英子の今様歌は、まさに冒頭から末尾に至るまで、道半ばにして斃れた友に捧げる慟哭の弔歌である。

3人それぞれの心に忘れ得ない面影を刻みつけた曙。寄稿文は、どれもその早すぎる死を惜しみ、「忘れない、忘れたくない」という思いにあふれている。私もそんな3人の願いに寄り添い、ここに『今様』の全文を載せ、木村曙という一人の女性、一人の作家が、ひとつの時代を力一杯生き、確かな足跡を残したことの証としたい。

 

  『 曙 女 史 を 吊 す る 今 様 』

                                     松 本 え い 子  稿
 
「ともに学びし大和(やまと)ふみ、ともにしらべしあずま琴。」ああなつかしこの唱歌、あああわれこの唱歌、おなじ学びの科(みち)をえて、きみとうたいしこの唱歌、別れてのちもあつめにし、蛍に雪におもい出(い)でて、そのおもかげを忍びにき。
日に日にゆきし教えの家、ともにつどいて朝夕に、いそしみあいし年月(としつき)も、夢とすぐればいとはやく、わざをえぬべき時もきつ、ともに別るる日となりき。
同じおしえの庭に咲く、やまとなでし子さき出づる、さまはことなれ、咲出づるいろこそかわれ、もろともにうけしめぐみのつゆだにも、きみと親とにこたうべき、そのひと筋のこころこそ、まごころなれやなかなかに、まなびの道をわけそめて、たかねの花もかざしてん、月の桂も手折(たお)らんと、こころの駒ははやれども、ふもとにちかきみちにさえ、まようは人の常なるを、おもえばきみはまさみちを、親と家とにつくしにき。
おもえばきみはいくとせも、まなびの家にみがきたる、そのこころもて たくみなるわざさえあるに、いとしくも親の仰せに従いて、てなれぬ家のなりわいにつきてわけにしふみの道、なれし学びのみちかえて、つとめつとむるいえのわざ。
いりかう人の数(かず)しげき、都大路(おおじ)にあき人(びと)の、そのなりわいのわけてなお、いそがわしさにわけてなお、ことおおかるにきみはその家のこともにさきだちて、たすきとるてもいそがしく、かぞうる珠(たま)のいくそ度(たび)、いえの事々(ことごと)いとまなき、そのなりわいの中にさえ、まなびしもとの文(ふみ)の道、わすられかねてともし火の、もとにたちよるおりおりは、こころの花の匂いをも、文(ふみ)の林に咲(さか)せては、世にほのぼのとあけぼのの、その名もたかくのぼる日と、ともにすすまん文(ふみ)の道、妙(たえ)なるわざのかずかずを、世に見ずべきをおしとおもう、花の盛りはあらしあり、月に雲あるよなればや、あなこころなのよわの風、あたら蕾の花のうえに、吹きすさびてもちらしけり。
おもえばことしの夏なりき、その病(いたつき)に おもやせし、きみとあいみし大磯のあらなみ高き たいまくら、夢おどろかす かりねこそ、ながき別れになりにけれ。
また見ることも今はなき、おもえばきみとわかれの日(ひ)、ふたたび都にあいみんと、ちかいしこともあだなりき。
虫の音(ね)しげき庭の面(おも)、秋風そよぐ萩の露、みにしみじみとおりおりに、きみが病(いたつき)いかならん、おこたりぬやと物おもう、こころにきみはわすれねど、月日はいつか暮れやすく、今日たち明日とすぎの戸を、とざす冬日(ふゆび)となりにけり。
あないたましや こはゆめか、うからはらから うちつどい、きみにたむくるひとすじの、香(こう)のけぶりはゆめなれや、かくともしらばひと度(たび)は、あい見てきみとかたらんを、あいみてきみに問いてんを、そのことぐさも今はただ、きみをとぶらうむらしぐれ、袖ぬらすこそはかなけれ。
おくれさきだつ世のならい、ただうたがいはつみのもと、せめてはきみをとぶらわん、こころをこめしことの葉よ、きみがみたまをなぐさめもせよ。

       わがおもふこころをこめしことの葉の
                 きみがみたまをなぐさめよかし

(一部漢字を補いました。まあしゅ)

 

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「小笠原洋子さんの旅」

Photo_2バルラッハと同じ北ドイツ出身の画家ということで、風景画家カスパー・ダーフィト・フリードリヒ(1774-1840)に興味を持った。芸術家の心こそが芸術の真の源である、「汝の肉体の目を閉じ、まず精神の目で汝の[描こうとする]イメージを見よ」と説き、生涯をかけて実践した、ロマン派の孤高の芸術家だ。ネット上の紹介文のいくつかに目を通している中、フリー・キュレーターの小笠原洋子著「フリードリヒへの旅」を知り、図書館で借りてみた。

小笠原さんは、画集で見たフリードリヒの『樫の森の修道院』に強く惹かれ、半年後にはその絵のあるベルリンを訪れる。以後、ドイツ、スウェーデン、デンマークと画家の行跡を辿り、彼の描いた実際の風景の前に立ち、画家が伝えようとした思いを追い続けていく。Photo_3

小笠原さんのどこに共感したかと言えば、とにかく“出会った”あとの行動が同じなのだ、その徹底した追求ぶりが。思い立ったが百年目、どうしても見たい、会いたいの一念で、過酷というよりは無茶そのものの旅を、たった一人で計画し、やり遂げてしまう執念。情熱に後押しされているとはいえ、知らない場所で船やタクシーに乗ったりバスを乗り継いだり、その不安はいかばかりだったろう。

芸術という点では、小笠原さんはその道のプロ、自分はただ好きなだけのド素人。でも「これだ」というものを見つけてしまった時、そんなレベルの差に関係なく、立つスタートラインは同じだ。意思の疎通は困難(小笠原さんは日本美術が専門とのことだ)、行き方こそインターネットの普及した今ある程度は事前に調べられるが、事故や工事など現地で事情が変わることは日常茶飯事。大都会ならまだしも、地方の小さな町を訪ねるとなれば、さらに多くの番狂わせは覚悟しなければならない。それでも、とにかく、行く!初めてのヨーロッパ、その北の最果ての地まで、リュックひとつ背負って出かけていくよう駆り立てるものがあったのだ。自己の内面の深い部分をじかに捉え、逃してはならないと思わせるもの、“存在”と響き合う何ものかが。だから“これっきり”にはできない、その“何ものか”の正体をつきとめるまで。そういう出会いだったのだ、小笠原さんにとってのフリードリヒとは。

この本は、フリードリヒの風景を求めて各地を訪ね歩いた小笠原さんが、その集大成として出会いから10年目にしてまとめられた記録だ。私がバルラッハを追ってドイツ探訪を始めてからも、昨夏(2017)の旅でちょうど10年。そんな節目を迎えた心境にも、あるいは似たものが漂っているのかもしれない。

この本、持っていたい。おこがましくも言わせてもらえるなら、仲間を得たように感じる。抱きしめていたいくらい。

私もバルラッハについてこんな本が、いつか、いつの日か書けたらいいなあ(「好きなだけのド素人」には無理か。ここで初めて「レベルの差」がものを言う)――。

 

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『笑う男』(1927)(米)

Mhl3ストーリー
 17世紀イギリス。侯爵の一人息子であったグインプレイン少年は時の王に背いた父への報復に、王の命で顔に笑いを刻まれ捨てられる。雪の中をさまよう少年は、途中保護した盲目の赤ん坊と共に旅の興行師に助けられる。十数年後、今は「笑う男」として人気を博すグインプレインは、成長した娘デアと相愛の仲だが、自分の顔のことを負い目に結婚を申し込むことができない。故郷の街に興行にやって来たグインプレインの存在を知った現女王の側近は、彼を利用して女王の苛立ちの種である驕慢な女伯爵を陥れようと企てる。そうとは知らぬ伯爵は、特異な顔を持つこの道化師に魅かれ、誘惑しようとする。側近の計略によりグインプレインは逮捕され、養父とデアにその死が告げられる。追放処分を受け、失意のうちに街を出る2人。一方女王は、貴族たちの前でグインプレインと女伯爵の婚約を発表する。驚いたグインプレインは逃亡し、デアたちが出航する波止場へと走る。そして、彼に味方する群衆の助けで間一髪追っ手を振り切ったグインプレインは愛する家族と共に国外へ去って行く。


ある本で1枚の映画のスチール写真を見た瞬間、うわっと目を奪われた(上の写真)。豊かなブロンドの美しい娘が、愛される者の喜びを清楚な笑顔にたたえて、恋人の胸に身を預けている。当り前の抱擁シーン。しかし私をとらえたのは男の顔。そこに刻まれた歯をむき出しにしたヒステリックなまでの笑い顔は、甘いラブシーンには全く似つかわしくない。なんなんだ、これは!? タイトルは‘The Man Who Laughs(笑う男)’そのものズバリだ。

こうなると居ても立ってもいられない。街中の映画関係の書店を歩いて資料を探したけれど、残念ながら当時はそれ以上突き止めることができなかった。ただそのタイトルは、スチールに写っていた男女の名前(コンラート・ファイトとメアリー・フィルビン)と共に、しっかりと私の心に焼き付けられた。

そしてしばらくの後、隔月で郵送されてくる通販ビデオのチラシに、ついに発見、‘The Man Who Laughs’ 即座に申し込んだ。内容も知らずに買うのは冒険だったけれど、この映画に関しては、どこを調べてもほとんどわからなかったので、もうとにかく実物を手に入れるしかないの心境だった。しかし、届いたビデオを見て狂喜した。史劇的背景、見世物・怪奇趣味、陰謀と策略、・・・ すべてが私好み。登場人物は皆個性と役割がはっきりしていて、単純だが痛快。サイレントのいちばんの問題である音楽も、この映画用に編曲されたもので、場面とぴたり合って言うことなし。

監督はドイツから招かれたパウル・レニ。舞台美術家として出発し、数々のドイツ・サイレントの名作を担当した後監督に転向。渡米後はモダンホラーの傑作『猫とカナリア』が有名。原作はビクトル・ユーゴーの短編らしいのだけれど、探しても見当たらない。ユーゴーといえば何といっても『レ・ミゼラブル』だから。ご存じの方教えて下さい。

さて、音楽が場面と合っていると書いたけれど、この映画を見ていると、ふと音楽なんか実はいらないんじゃないかと思えてしまう。まず冒頭の字幕からして巧妙。始めに‘17th Century(17世紀)’と大きく真ん中に出て、その文字と二重写しに、より大きな‘England(英国)’が画面いっぱいをドーンと占拠する。続いて‘His Majesty(国王陛下)’さらに‘King James II(ジェームズ2世)’がまたドーン。時代背景と最初の登場人物の紹介。それだけのことを言うのにこの手の込んだやり方。でも充分効果をあげている。この4つの字幕だけで、見ているこっちはカウチポテトから一転して、王政華やかなりし頃の大英帝国の空気にすっぽり取り込まれている。こうして準備は万端とばかりに、異様な物語が幕をあけることになる。

カメラでも見せてくれる。雪の中をさまよう少年時代の主人公が、王の圧政のもと処刑された野ざらしの死体に出くわすシーン。半分白骨化した死体は強さを増す風にあおられてゆらゆら揺れ、カラスが死肉をあさる。その下を、小さな無力の少年が恐怖に逃げまどう。漆黒の闇、ぼんやり浮かび上がる白蝋のような不気味な雪の白、そして活発に飛び交う‘支配者’カラスの黒。このコントラストが効果的。こんな気持ちの悪い白、初めて見た。

あるいはまた、大人になったグインプレインの出し物の場面。熱演する「笑う男」に対して、観客席全体がまるで大波のようにゆっくりと上下にうねっているのだ。ウケにウケていることをこのカメラワークで表現している。本当に耳をつんざくような爆笑と歓声が聞こえてくるようだ。「笑う男」を庶民の慰めとして心から愛しているこの群衆が、クライマックスで王の配下に追われる彼を助けるのだ。

こんな風に、カメラワークで登場人物の心理や場面の雰囲気、ひいては‘音’までも表現しているところがこの映画にはたくさんある。音楽が封切当初からついていたのかどうかはわからないけれど、仮になかったとしても、これなら当時の観客も100%楽しめたに違いない。隅々まで念入りに計算し尽くされた作品と言えるだろう。

Nveidt2 計算し尽くされたといえば、主人公グインプレインを演じるコンラート・ファイトの演技がまさにそうだ。ファイトは、日本では『カサブランカ』の憎らしいドイツ将校役が知られているけれど、世界の映画界に衝撃を与えた『カリガリ博士』の‘眠り男’役でその名を轟かす、ウーファ全盛期のドイツを代表する名優のひとりだ。役柄を辿れば、イワン雷帝、嫉妬深いマジシャン、悪魔に魂を売る貧しい学生(→『プラーグの大学生』)と、かなりエキセントリックな個性が売りだったとわかる。それを頭に入れておけば、王に謀反を企てた父への見せしめに、外科手術で顔に永久に消えることのない笑いを刻まれてしまったグインプレインの役など、まさにこの人にうってつけ。批評家の中には、ファイトの演じるグインプレインはナイーブで生真面目すぎる。‘千の顔を持つ男’ロン・チェイニーだったら、もっと毅然とした主人公を情感豊かに創り出しただろうなどと評する人もいたようだけれど、私に言わせれば、ごついチェイニーでは貴族の血を引く主人公の、いい意味での甘さが出せたかどうか。また、濃厚なチェイニーのメイク作りでは怪奇性だけが際立って、モンスター・ムービーのようになってしまっていたかもしれない。190cm以上の長身で知性的な広い額とくっきり整った目鼻立ちのファイトだからこそ、運命に翻弄される主人公の味わう苦悩が強調されるというもの。それに他の作品では、この人もっとふてぶてしく演じている。この映画でも、冒頭に出てくる主人公の父親(ファイトの二役)はもちろん普通の口だし、ギラギラ輝く決然としたまなざしに野性美すら感じさせる好男子ぶりだ。むしろこっちの方が本来のファイト演じるキャラクターにずっと近い。悪役顔なのです、実は。グインプレインのナイーブさが、彼が練りに練った末の役作りだったことは、それだけでも充分察せられる。

かたわらのデアに触れていたくて、出し物の本読みに身が入らないグインプレインに、養父Mwl1 が「結婚しちまえ」とハッパをかける。が、その途端萎縮してしまうグインプレイン。「私はあなたのものよ」と積極的なデアには、「ぼくには君を愛する資格すらないんだ。」抱きすくめたくて伸ばした手をためらった末に引っ込めて、おどおど、もじもじ・・・ これがファイト!? ためしに画面の口の部分だけを手で塞いで見てみたが、やっぱりいつもの彼とは違う。考えてみれば、口に大きな歯を入れて動かせない以上、目で演技することを強いられる、難しい役柄なのだ。おどおど、もじもじの背後にある、本当は誰にも笑われたくなどない主人公の深い悲しみが、その仕草や目配りから見事に現れている。常に役作りには相当の力を注いでいたというファイトだが、全く並の根性じゃない役者だ。ただ、彼の魅力のひとつはあの鉄壁の意志を表わすキッと引き結んだ唇でもあるから、もしグインプレインのハンデが口ではなく別の場所だったら、彼にこの役は来なかったかもしれない。

この映画でハリウッドに認められたファイトは、ユニヴァーサルが映画化を予定していたトーキー映画『魔人ドラキュラ』の主役にと画策されていたそうだ。ところが、監督を務めるはずだったパウル・レニが急病死してしまい、本人も英語に自信がまだなかったことからドイツに帰国、ご破算になったとのこと。すったもんだの末、主役のドラキュラはハンガリー出身のベラ・ルゴシがものにした。レニ監督とファイトのドラキュラ、実現していたら映画史に残る一作になったことだろう。残念でもあるけれど、一生ドラキュラのイメージにつきまとわれて生涯を終えたルゴシの運命を見ると、反古になってよかったとも思える。ホラーやオカルト現象を、異次元のショッカーとしか捉えられないアメリカ人と、その中に深く暗い人間自身の心の闇を見てとるドイツ人。本国ドイツでならともかく、まだ未成熟な当時のアメリカ映画界で、彼らの作る作品が正当な評価を得られたかどうか。その後、ナチスの台頭するドイツからイギリスに亡命したファイトは、大作を残すことなく世を去るのだけれど、“第三帝国の俳優”としてナチスのプロパガンダに利用されるのを嫌い、一職業俳優としての生涯を貫いたその生き方に共鳴する若いファンは、今でも世界中にたくさんいる。生前自伝を書かないかと誘われたファイトは、こう言って断ったそうだ、「伝記など何になります?私はただの映画俳優ですよ。」

盲目の娘デア役のメアリー・フィルビンは『オペラの怪人』でヒロインを演じた人。演技は素人でニコニコ可愛いだけのお人形だけど、彼女の初登場シーンにははっとした。なにせ、グインプレインの拾った赤ん坊が女の子だったなんて想像もしていなかったから。人々の笑いの対象となる顔を持つ男と、その顔を決して見ることのない女。もどかしくて傷つきやすいこの2人の恋が物語の横糸になっているんだなと納得した。

脇役陣も芸達者ぞろいだ。養父役のチェザーレ・グラヴィナは、世にも恐るべき顔で忘れられない個性派。『オペラの怪人』にもちょっと出ている。王役のサム・ド・グラッスはカナダ出身で『イントレランス』の頃から活躍。女伯爵役のオルガ・バクラノヴァは、ロシア出身で後にトッド・ブラウニング監督の『フリークス』で驚きの大熱演。以下、女王、女王の側近、女伯爵の許婚と、滑稽なヤツらばかり。姑息でいじましくて、どこがロイヤルファミリーだ。本当に笑われるべきはこの王室の連中だというのは、もうありありだ。

もう一人(?)、この映画で忘れてはならないのが、主人公の飼い犬ホモを演じるオオカミ犬ボンゴ君。人間に一歩も引けをとらない、後世に残る名演、天才だ!

『笑う男』のDVDは、Kino International で購入できます。また、コンラート・ファイトのファンクラブのサイトでは、You Tubeにアップされた『笑う男』のビデオクリップを見ることができます。

 

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『プラーグの大学生』(1913・1926)(独)

【ストーリー】Nveidt
  19世紀のプラハ。街一番の剣豪と評判の大学生バルドゥインは、親の遺産を使い果たし極貧にあえいでいた。「金持ちの跡取り娘でも紹介してくれ」自暴自棄な彼のつぶやきに手を差し伸べたのは、“不思議な力を持つ男”と敬遠されているスカピネリ。偶然助けた美しい伯爵令嬢に恋をしたバルドゥインは、スカピネリの誘いに乗り、金貨10万枚と部屋の中の物を交換する契約書にサインする。スカピネリは懐の小さな巾着袋からあふれんばかりの金貨を出し、代わりに鏡に映ったバルドゥインの‘分身’を連れ去る。同胞の学生たちのために多額の寄付をし、街の名士として伯爵家に招かれたバルドゥインは、令嬢に愛を打ち明けるが、令嬢には許婚の男爵がいた。一方で彼の‘分身’はふいに姿を見せては無言で彼を脅かす。そして、令嬢との仲を知りバルドゥインに決闘を申し込んだ男爵を、先回りした‘分身’が謀殺してしまう。大学から追放されたバルドゥインは、身の潔白を訴えに令嬢のもとを訪れるが、そこに現れた‘分身’に追い詰められ、思い余った末銃口を向ける。だが、同時に彼もまたその場に崩れ息絶える。その胸を彼がたった今‘分身’に向けてったはずの傷が赤く染めていた。(写真は26年版のコンラート・ファイト)

この映画は、ドイツの脚本家ハンス・ハインツ・エヴァースがエドガー・アラン・ポーの『ウィリアム・ウィルソンに触発されて書いたもの。『世にも怪奇な物語』(67)でアラン・ドロンが主演していたエピソードだ。子供の頃からたびたび目の前に現われて自分を悩ます自分に瓜ふたつの男を遂に殺した途端死んでしまう男の物語だった。

ドッペルゲンガー=自分を見つめるもう一人の自分... よほどドイツ人好みの題材だったと見え、この作品は3回映画化されている。サイレントの13年版、26年版、トーキーの36年版のうち、私が長らく片思いだったのが、コンラート・ファイト主演の26年版。やっとの思いで手に入れた時は夢心地だったが、映画史に目を通してみると、この26年版よりパウル・ヴェゲナー主演の13年版の方が名高く、オカルト映画初期の最高傑作とされているらしい。日本のアイ・ヴィー・シーからビデオが発売されていることは知っていたので、思いきって購入した。

かたや映画の黎明期、かたや第一次大戦を経たドイツ・サイレント映画の黄金期、この十数年の差は両作品を全く異質のムードに作り上げている。13年版はいわば舞台活劇。まずタイトル・クレジットと同時に、出演者たちが前口上よろしく一人ずつ観客に紹介される。本編が始まってもカメラは場面ごとに固定されたまま。クローズアップは無く、せいぜいウェスト・ショットどまりだ。天才グイド・ゼーバーがその腕を遺憾なく発揮した特撮も、どちらかといえば映画創始期の‘魔術師’ジョルジュ・メリエスのそれに近い。1時間足らずの作品だから、余計な装飾や引き伸ばしはなく、小気味よいテンポでラストまで進んでいく。

一方の26年版のカメラは、登場人物の表情の変化はもちろん、気象(真夜中の嵐)、自然(広大な森や平原)、光と影などを存分に利用してゴシックムードあふれる効果を高め、追い詰められていく主人公の心理を舐めるように辿っていく。この時期のドイツ映画には、どれもこのように陰鬱で音楽的なムードが漂い、もはやただの娯楽とは一線を画した奥深い運命劇・心理劇を創り上げている。片や能天気なハッピーエンドのロマンスばかり作っていたアメリカ。映画に求めるものの違いか、人間そのものの捉え方の違いか。

ストーリーも26年版は一層込み入っている。たとえば、バルドゥインを慕うジプシーの花売り娘リドゥーシュカの存在。冷たい彼を何とか振り向かせたい必死の恋心が、スカピネリの魔の手と複雑に絡み合い、逆に彼を崖っぷちへ追い込む狂気へと変質していく。一方13年版のリドゥーシュカはもっと小悪魔的で、情熱の一字で突っ走っていく感じが強い。ジプシーのステレオタイプ?

当然、主人公の性格もかなり違う。26年版のバルドゥインが暗い思索家タイプなら、13年版は快活なスポーツマンタイプ。26年版が貧しさの苦痛から貝のように口を閉ざしてうつむけば、13年版は空っぽのポケットを裏返し、「もうお手上げ。おれは破産だよ」と天を仰ぐ。悪魔のスカピネリと取引きをするときも、26年版が相手にかなり怪しげなものを感じ取っているのに対して、13年版はほとんど警戒していない。鏡のなかの自分が動きだし、スカピネリに導かれて出て行ってしまったのを見ても、呆気にとられながらも「行っちまった。まっいいか」と、はや心はうず高く積まれたお宝へ。何も考えていないといった方が正確か。

こんな場面があった。鏡に向かって剣の練習をするバルドゥインが、前日助けた伯爵令嬢の見舞いに出かけるところ。26年版では心配事が心を占めているせいか、あまり身が入らずすぐに剣を投げ出してしまう。しかし13年版では「プラハ最強の剣士といわれて評判は落とせない」と、一通りきっちり練習を済ませてから出かけるのだ。外へ出ると、リドゥーシュカが朝一番に積んだ花を手に待っている。26年版のバルドゥインは、代金を受け取ろうとしない彼女の手に無理やり硬貨を握らせて去って行く。女心のわからない野暮なヤツだ。一方の13年版は「いいのかい、サンキュー」とばかりに、リドゥーシュカの頬を軽くポーンとはたいて意気揚々と出かけて行く。さっぱりしたいいヤツ。(でも、その心尽しの花を別の女性へのプレゼントにしようというのだから、ちょっと ・・・)

だからというべきか、幕切れから受ける後味もかなり違う。26年版からは、悪魔に魂を売る行為のおぞましい結末に、一種宗教めいた重苦しさが残るけれど、13年版からはむしろ、勝てるはずもないギャンブルに乗ってやっぱり負けたバカな男の滑稽さ、諧謔味が残る。アメリカで作られたという硬質な音楽も一役買っているのだろう。

Nwegener_pic 13年版でバルドゥインを演じたパウル・ヴェゲナー(写真)は、ドイツ映画界で独自の世界を追及し続けた巨人。まさに巨人というべきパワーリフターみたいな体躯にモンゴルの血を引く東洋的な顔立ち。ユダヤの民の守り神ゴーレムの神話がよほど気に入ったとみえて、3度も映画化し主役の土の化身を演じている。しかし後年はナチのプロパガンダ映画を手がけ、ヒトラーの賞賛を浴びたというのだから謎の人だ。『ゴーレム』のときは役柄上ほとんど表情がなかったが、本作品では、腕っぷしだけが取り柄の能天気学生と悪魔のロボットである‘分身’を対照的な乗りで演じ分けている。リドゥーシュカ役のリダ・ザルモノファは当時のヴェゲナー夫人で、夫が制作した数々の作品で相手役をつとめている。丸顔でおきゃんな魅力のせいか年のわからない人。この映画から7年もたってから作られた 『ゴーレム』でも全く変わっていない。

スカピネリの扱いも両作品では微妙に違う。13年版を演じた名バイプレーヤーのヨーン・ゴトウットは、ひょうひょうとしていて掴みどころがなく、ステッキでリズムをとりながら踊っているような歩き方がどこか狂言回しっぽい。一方26年版のヴェルナー・クラウスからは、見るからに邪悪な匂いがプンプンする。頭から角が生えて耳が尖ってきてもおかしくなさそう(顔は“喪黒福造なんだけど)。バルドゥインと令嬢の出会いの場面。クラウスのスカピネリが広い丘の上でじっと遠くを見渡していると、狩猟中の伯爵一行が見える。スカピネリはちょっと思案した後おもむろに片手を上げて、指でくいと何かを引き寄せるしぐさをする。すると、狩猟犬の一群が吸い寄せられるように方向を変えて走って来る。その先にはバルドゥインの家。犬を追ってきた令嬢の馬が暴れ出し、偶然出てきたバルドゥインが彼女を助ける。(13年版では、立ち話をしているバルドゥインとスカピネリの間を令嬢の乗った暴れ馬が駆け抜けて行くだけ)−−また、裕福になったバルドゥインが令嬢に逢いびきの手紙を渡す場面。それをリドゥーシュカが手に入れ男爵に密告するのだけれど、13年版ではリドゥーシュカが令嬢の部屋に忍び込んで手紙を盗むのに対して、26年版では二人が会っているバルコニーの壁に不気味なスカピネリの影(影だけ!)が這ってきて、その指先が触れた途端手すりに乗っていた手紙がふわりと下の茂みに落ち、リドゥーシュカが拾う。あやつり人形の糸を引いているパペットマスター・スカピネリの‘悪魔性’が13年版よりはるかに強調されている。

ヴェルナー・クラウスといえば『カリガリ博士』(19)(写真)26年版でバルドゥインを演じたコCaligari2_2ンラート・ファイト“眠り男”チェザーレとの伝説的な競演が金字塔だ。また殺人鬼ジャック・ザ・リッパーの蝋人形を演じた『裏街の怪老窟(24)では、ほとんど出番もないのに立っているだけでコワイ。でも独特の凝ったメイクのせいで素顔は不明。第二次大戦中ユダヤ人排斥運動に積極的に荷担したことから、戦後は干され不遇な晩年だったとのこと。ちなみに、ファイトはヒトラーのやり方に真っ向から反対し、本国ドイツを離れイギリスに亡命、ナチ将校役などで時代に警鐘を鳴らし続け、43年にハリウッドで客死している。

 

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