ドイツ旅行記

北ドイツ旅行記 − バルラッハを訪ねて −

■2007年7月25日から30日まで、ドイツの彫刻家、版画家、劇作家であるエルンスト・バルラッハ(1870−1938)ゆかりの地を訪ねて、ハンブルク − ラッツェブルク − ギュストロウ − リューべックへと鉄道の旅をしてきました。その記録です。 Nbarlach_5
 
 
 
7/25(水) 第一日目  出発

 朝6時の快速に乗らなければならなかったので、目覚まし時計を5時にセットしておいたが、結局ずいぶん早く目が覚めてしまった。朝食はチェックイン後空港で取る予定だったので、荷物の最終確認とガス元栓・電気の消し忘れの点検をしただけで家を出た。しばらくして、今日が第四水曜日だということを今さら思い出す。分別ゴミ出せたんだった。今週は出せないと何故か思い込んでいた。外国旅行の前は色々“覚悟”してしまうため、掃除や片付け、洗濯をきっちり済ませ、万一の時に後始末をして下さる方に、かける面倒ができるだけ少なくなるよう配慮してから行く癖がついている。ゴミもできるなら出しておきたかった。不安なのはゴミの件というよりは、以前ならこんなこと見落とす自分ではなかったはず、その焦り。肉体的な衰えと同時に、うっかりミスが年々増えている。ただ自分だけが頼りの単身旅行なのに、こんなことでは先行きが思いやられる…。最寄り駅から電車に乗っている間も、いつの間にか途中で乗り換えて大阪まで出るような気でいた。不安が募る。しかし、快速に乗り込んでからは気持ちを切り換えた。大丈夫、細かいヘマは気にせず、要所だけをしっかり押さえていけばいいのだ。

 チェックインは割合早く済み、海外旅行保険をかけようとカウンターに行く。7日で7,000円以上。考えてしまう。クレジットカードの保険もあるし、職場の共済の海外旅行医療費補助の用紙ももらってきた。何万円もする高額な買物に行くわけでもない。いいか。保険をかけずに海外へ出るのは初めてだったが、結局止めた。次に、食事をするため下の空港ビルへ降りる。レストランはたくさんあるが、どこも恐ろしく高い。朝食に900円? 隣のビルにも行ったりして迷ったあげく、松屋の朝定食に落ち着いた。空港でも、さすがにここばかりは同じ値段だった。

 少しぶらぶらしてからゲートへ向かった。まだ夏休みも始まったばかりのせいか、どこもあまり混雑していない。出国審査も手荷物検査も、並ぶ時間はほとんど取られることなく通過した。例の『機内持込液体検査』、ルールに添って別にしておかないと、X線を通した時にわかってしまうのか。おみやげのお酒を指摘されている人がいた。

 飛行機も、ガラガラといっていいほど空いていた。中央4席の端の席だったが、隣3つは空席だった。おかげでゆったり座れる。隣の席があいているといないでは大違い、ただでさえエコノミーは窮屈なのだ。せっかくドイツへ行くのだからと、いつもは飲まないビールを少しと赤ワインをいただいて昼食。その後アイマスクとイヤーウィスパーで“装備”して、寝る体制に入る。飛行時間11時間。ドイツと日本の時差は7時間。ハンブルク到着は日本時間の夜中の1時、しかし現地はまだ夕方。少しでも寝ておかなければ。昼寝の時間だったが、食後だったのとアルコールを入れたのと、夕べあまり眠れていなかったこともあって、数時間寝られたようだ。モニターでは何本目かの映画を上映していた。

 体調管理も海外旅行では大きな要素。胃腸が丈夫でない自分は食べ物にも用心しなくてはならない。以前アメリカで下痢が止まらずフラフラになり、気力だけで頑張ったことがあった。トイレ事情の悪いドイツでは、特に心配な点だ。旅行の行程自体は、計画を組み立てている間は半分夢想の世界だったが、いざ出発してみれば、ドキドキしながらも時間は淡々と流れて行く。1分先もどうなるかわからないが、行く先々にはその地域の当たり前の日常生活があるわけで、冒険などという大げさなものでもないのだろう。一人で全部やらなければならないのが大変なだけ。あとは委ねて、とにかく当初の計画に添って動いてみよう。帰れなければそれはそれ、時が来たと諦めよう。ここまで来た以上、前へ進むほかないのだから。

 さっそく予想外の事態が起こった。フランクフルトの3階Bゲートに着くことを想定し、日本人の客室乗務員さんにも確認を重ね、しっかり乗継ぎをシミュレーションしておいたのに、よりによって飛行機はゲートインせず地上で停まり、乗客はタラップを降りて迎えに来たバスで移動するハメになった。当然入口は3階ではなく1階。必死に前の人についてエスカレーターを上って2階で入国審査を受け、手荷物検査に進めたのはいいが、突如場所が変わって1階へ逆戻り。乗継ぎ便の出る2階ゲートに行くためエレベーターに乗ると、降りたのは暗く長い幻想的なトンネルの中。そうだ、4年前のベルリン行でもここを大急ぎで通ったんだ、と記憶がよみがえる。今回は時間にまだ余裕があったので、ム−ヴィングウォークをゆっくり進んだが、とにかくルフトハンザの便が入るBゲートから目的のAゲートまでは遠いのだ。ドイツの入国審査はアメリカに比べれば緩やかな方だが、やはり乗継ぎには2時間は見ておかないといけないと実感した。心のゆとりがいちばん大事!

 ハンブルク行きの便は30分遅れ。だが、この時期9:30PM頃まで陽が沈まないため、到着が7時をまわっても日射しが明るく安心、あとはスムースに空港バスに乗ってハンブルク市街まで来ることができた。ハンブルク中央駅の大きさにただ圧倒された。ホテルは繁華街とは逆の出口、中級ホテルが並ぶ側にあった。とにかく駅から近いのが最大のメリット。あとは、シャワーができて朝食さえ食べられれば自分はいい(本当にそれだけのホテルだった)。チェックイン後、駅へ出て売店でパンを買い、今宵のディナーに。明日からもたぶんずっとこんな感じだろう。
 
 
 
7/26(木) 第二日目  ハンブルク

 それ(シャワーと朝食)だけのホテル…。周辺ホテルの1階がバーやカフェになっているため、へべれけ親父どもが真夜中まで大声で歌ったり怒鳴ったりで眠れやしない。朝は朝で、外壁塗装の作業員が窓ひとつ隔てた距離で7時過ぎから仕事を始め、いい天気なのにカーテンも開けられない。どんなにしっかり閉めてもできるカーテンの隙間から、洗面台の鏡に映る作業員の姿が見える。あちらが見えるということは、見ようと思えば向こうからもこちらが見えるということだ。おまけに、夕方にはシャワー中に突然電気が消え(バスルームの電気しか使ってないぞっ)、フロントを呼ぶ始末。が、「すぐ行きます」と言っておきながら、いつまでたっても全然来ない。慌ただしい足音がしたので漸く来たかとドアを開けたら、フロントのお兄さん上の階へあたふた上って行くところだった。別の部屋でもトラブル? 目が合って“Oh, Ja!”とはっとした様子。忘れてたのか。きっとこんなこと日常茶飯事なんだろう。倉庫の中でカチャカチャやってたら、部屋の電気はすぐついた。ほっとして帰ってもらったけれど、バスルームの方は別らしく、つかなかった。もういい、シャワーはした。トイレはドアを開けておけば足りる、と再コールはしなかった。

 そんなホテルでも、朝食だけは抜群の満足度で一日が始まった。前回はずっとベルリンから動かず、当然一つのホテルで寝泊まりした。安い共同バスの部屋だったが、ホテル自体は中上級クラスだったので、それで朝食が豪華なのかなと思っていた。しかし、今回の旅行を通じて、ドイツではどんな安ホテルでも朝食はきちんと出るのだということがわかった(もちろん別料金のところもあるが)。パン、チーズ、ハム、シリアルが数種類ずつ並び、オレンジジュースとフルーツ。卵料理も必ず2種類。野菜は少なかったが、コーヒーはポットごとテーブルに持っていくシステム。お代わりも当然自由だ。一人旅の時は食事に犠牲を強いている自分なので、この毎朝の栄養補給がまさに一日の活力源。毎回1時間近くかけてゆっくりいただいた(そのために早起きしてでも!)。何もかもが本当に美味しかった。パンは何個でも食べたかったが、前回の失敗(パンは摂りすぎると後で苦しくなって行動に支障が出る)を踏まえて2個に抑え、その代わりハムとチーズを多めに摂るようにした。コーヒーは4杯くらい飲んだかな。しっかり濃いんだけれど、どこかマイルドで何杯でもいけた。よし、これで一日でも歩ける。力がみなぎってくるのを感じた。

 早めにホテルを出て、まず駅の窓口でジャーマン・レイル・パスのヴァリデーションを受ける。それから繁華街を運河に向かってぶらぶら。どこの駅構内にも書店があったけれど、市庁舎に行く途中にThaliaという大きな書店があって、そこは本好きの自分、言葉もわからないのに入ってみた。やっぱり何を見てもわからない。そんな中で、『ハリー・ポッター』最新作の英語版が平棚に積まれていた。熱狂ぶりはドイツでも同じのようだ。ここで、初めてのトイレ。入って行く人を見たので、いいのかなと続いて入った。椅子は置いてあったが、係の人は不在のようで、払わず使えた。午後もう一度寄って利用した時は、年輩の女性が掃除をしていた。先の親子連れが払っていたので私も30セント払うと、大喜びでお礼を言われた。多かったのかな。まあいいや、おばあちゃん喜んでたから。街中のトイレはこの後何度か利用したが、必ず係の人にお金を払う場所にした。無人でコインを投入する所へは行かなかった。もし鍵や扉が壊れていて、入ったはいいが出られなくなったりしたら困るから。

 ちゃんと向かっていたはずなのに、どこで間違えたか聖ニコライ教会を市庁舎と勘違いして写真を撮っていた。ここも戦禍で破壊されたまま残してある場所だ。ベルリンのツォー駅前の、カイザー・ヴィルヘルム記念教会を初めて見た時の衝撃がよみがえる。ドイツと戦争。どの地を訪れても、加害国の責任として風化させない努力の跡が見られる。どこかの国とは大違いだ。

Nhi_ham さて、もう一度地図を拡げて来た道を戻り、やっと目的の市庁舎前の広場に辿り着いた。さっきここ通ったのに…。この運河の畔に、あった、この旅行最初のバルラッハ、『ハンブルク戦没者記念碑』が。 自分はこのためにドイツに来たのだと、改めて感じた。まっすぐ空に向かって伸びる板状の石碑。表には打ちひしがれる子と抱きとめる母のレリーフ、裏には「4万人の町の息子達がその命を捧げた1914−1918」の碑文。多くの人々の感動と賞賛を浴びながらも、ナチスによって強制撤去され、戦後元の位置に再建されたということだ。辞書を引き引き碑文の意味を拾い、写真を撮ってもう一度眺めてからその場をあとにした。運河の畔の水鳥は人を恐れないのか、すぐ近くでカメラを向けても逃げるどころか近づいてくる素振りすら見せた。よく見れば、人も鳥も同じ場所で混じってくつろいでる。危害を加える人がいないということか。

 次に、すぐそばのSバーンの駅からS1に乗り、エルンスト・バルラッハ・ハウスに向かSignう。途中のアルトナ駅までは地下路線だったが、そこから地上に出て郊外の風景が目の前に開けた。Klein Flottbek駅下車後、表示の方向どおり外へ出たまではよかったが、その先が大変だった。どうにか『バルラッハ・ハウスまであと6分』のサインを見つけて広大な公園に入り、地元の人にくっついてぶらぶら(しているフリ)、そして次 の『あと4分』の矢印に従って森の小道を進んだが、そのあたりからだんだん心細くなる。それでも戻る道を確認した上で前に進み続けると、急に森が切れて公園の出口に出た。道路を渡り、新たな広大な敷地の門に入ってみると、ジョギング中の男性が声をかけてくれ、すぐ目の前に建っているHaus 目的地に着けたことがわかった。その長方形の白い建物に一歩入ると、それまでの苦労も吹っ飛んだ。照明をやや落とした通路と奥の部屋、逆に外の光をめいっぱい取り入れた中央のガラス貼りの部屋、外の明るく牧歌的な日常とは一変する、荘厳なまでの静けさの中に、去年京都で見た数々の作品が整然と並べられていた。日本展のチラシにもなった『再会』、本でしか知らなかった『モーゼ』、私とバルラッハとの出会いだった『歌う男』、そして『苦行者』も。来てよかった、そして「毎週来たい」と思った。今度いつ来られるかわKugyosha2 からない(そもそも無事帰れるのかもわからない)から、余計に立ち去り難い思いがした。ずっとここに居て、この人物たちと語らっていたい…。売店で、ドイツのクレジットカードしか使えないことを知って戦慄。ハンブルク郊外ですらこうなのだから、ギュストロウやラッツェブルクは推してしるべしだ。止むなくハンブルク駅であと1万円両替したが、52ユーロにしかならなかった。

 バルラッハの故郷、ハンブルク郊外の町ヴェーデルにはただがっかり。『ドイツ音楽紀行』のブログを読んでいたから期待はしていなかったけれど、なぜ特別展示がモンローやオードリー、それも写真だけなのか。G・ケリ−にリズ・テイラーにバルドー。セックス・アピール? クール・ビューティー? チョイスの意図も不明。一体だけバルラッハの巨大なブロンズ(松葉づえをついた『物乞い』)が階段のところにあったので、せめてこれだけでもと写真に撮ったが、きっとデカすぎて移動できなかったのね。所要時間10分で出た。入口の壁面に、飾りのように歴代の展示会のポスターが並べて貼られていたけれど、手に入れたいと思うものが何枚もあった。惜しいと思う。偉人が故郷の人に正しく理解されないのは世の常だけど、バルラッハもそうだったのかな。常設展に力を入れる方が確実に集客は伸びるし、町の内外を問わず皆に評価されるだろうに。あれだけ世界中で感動を呼んでいるバルラッハなのだから。

 ハンブルク市内に戻ってまたぶらぶら。地図と紀行本ばかり集めた書店に行き当たり、どこにもなかったギュストロウの地図と案内本が手に入った(VISAカードも使えた。ほっ…)。こんな本屋があるなんて! 今夜はこれでじっくり予備知識を入れて明日に備えよう。明日はいよいよGRPをフルに使う長距離移動。もっと大変だ。夜、予期せぬ雷雨になった。おかげで今夜の路上は静かだ。

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